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水 戸 八 景

水戸八景とは、水戸徳川家第九代藩主斉昭公(烈公)が、天保4年(1833年)に領内を巡視し八つの景勝地を 選定したものである。斉昭が藩主を継いだ頃の世情は、決して無事安穏ではなかった。英明で覇気に富んでいた 公であっても、心をわずらわすことが多かったであろうから、八景の風景は公の憂いを散らすに役立ったに相違 ない。しかし、八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りをすすめて、自然鑑賞と健脚鍛錬とを図ること にあったのである。当時の流行語を用いれば、正に「文武両道の修練」に資せられたもので、公の深慮の程には 全く、感嘆してしまう。
水 戸 徳 川 家  系 図
生前の実名を (いみな) と称号し 死亡すると生前の徳を称えて贈る※ (おくりな) という称号がある
家康(11男5女)11男ー水戸家初代藩主 頼房 (よりふさ) 威公 (いこう)
(正三位 中納言)ー2代目藩主 光圀 (みつくに) 義公 (ぎこう) (従三位 中納言) 中国(民国)で中納言を黄門というところから水戸黄門と言はれた) ー3代目藩主 綱条 (つなえだ) 粛公 (しゅくこう) (従三位 権中納言)ー4代目藩主 宗堯 (むねたか) 成公 (せいこう) (従三位 左近衛権中将 参議) ー5代目藩主 宗翰 (むねもと) 良公 (りょうこう) (従三位 左近衛権中将 参議)ー6代目藩主 治保 (はるもり)文公 (ぶんこう) (従三位 左近衛権中将 参議) ー7代目藩主 治紀 (はるとし) 武公 (ぶこう) (正四位下 左近衛権少将)ー8代目藩主 齋脩 (なりのぶ) 哀公 (あいこう) (従三位 権中納言) ー9代目藩主 齋昭 (なりあき) 烈公 (れっこう) (従三位 権中納言 贈従二位 権大納言) ー10代目藩主 慶篤 (よしあつ) 順公 (じゅんこう) (従三位 権中納言) ー11代目藩主 昭敬 (あきたけ) 節公 (せっこう) (従一位) ○15代将軍慶喜よしのぶの弟   その後廃藩置県により水戸県となり茨城県となった。当時の将軍は御三家であっても水戸家からは 将軍は出さない原則であったが一橋家へ養子に入っていた九代藩主齋昭公の3男 慶喜よしのぶ が15代将軍となり江戸幕府最後の将軍を輩出した 因みに12代篤敬 (あつよし) ○慶篤公の長男ー13代圀順 (くにゆき) ○大日本史を完成させたー14代圀斉 (くになり) ー15代斉正 (なりまさ) ○現在当主

私が当時を振り返って歩いたコースを紹介します、当時は約90キロ(22里)の区間を徒歩で回った
現在は車で移動、約半日で全コースを回れます。

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